木村綾子
「時を架ける橋」2006年6月28日
GARGERYを差し出す無骨な5本の指が、不意に父の手と重なった。
私はその独特な形のグラスを持ち上げると、一人の夜を静かに楽しみ始めた。
アルコールそのものにではなく、雰囲気と酒の味わいに酔いたい夜は、GARGERYはもってこいだ。
いつの間に、こんな夜の過ごし方を覚えたのだろう。
そういえば私の父も、お酒が好きな人だった。
私がまだ幼い頃。決まって父は食卓で晩酌をしていた。ある程度いい気分になってくると、半ば強引に私を膝の上に座らせては、いろいろな話を得意げに語っていた。
「いいか。ビールはこうやって、冷たいうちに勢いよくのどの奥に流し込むものなんだぞ。」
私はそんな父親の話を右から左へ流しつつ、膝の上をすり抜けるタイミングを見計らっていた。無理もない。子供には、酔っ払いの相手なんかより、TVの向こう側のキョンキョンの方がよっぽど魅力的に映るものなのだ。
父の密かな夢は、自分の子供と酒を飲むことだったらしい。あいにく3人兄弟の中、期待されていた二人の息子は下戸。唯一飲める私は、田舎を離れ東京暮らし。こうして父の長年の夢は、儚くも散ってしまったのだった。
父は今でも、あの食卓の片隅で、ひっそりと晩酌をしているのだろうか。
次の週末、出張で父が東京にやってくる。
そうだ。土曜の夜は父をこの店に誘い出し、GARGERYを教えてあげよう。
冷えていてももちろん美味しい、ぬるくなってもコクと香りをゆっくりと楽しめる、そんなビールもあるのだということを。
話好きの二人には、GARGERYが良く似合う。
・・・父はどんな顔をするだろう。
平静を装いながらも、(娘は一体誰にこの酒を教えてもらったのだろう。)なんて、複雑な想いを抱いたりするのだろうか・・・。
もし、父がこのGARGERYを気に入ってくれたら、ある提案をしてみようと思った。
「会って欲しい人がいる」と。
私に、嬉しそうにこのお酒の魅力を語ってくれた、彼のことを。
その笑顔が、たまらなく愛おしく思えて恋に落ちたことを。
父を見つめる母の姿が、自分に重なったことを・・・。
心地の良い酔いは、昔と今、そして近い未来の間を浮遊する感覚を私にプレゼントしてくれた。気が付くとグラスは空になっていた。
「もう一杯いかがですか?」
そう尋ねるバーテンダーに、私は応じた。
「次は特別な人を連れてきますから。とっておきの一杯を出してくださいね。」