小山田浩子
「お年玉」2016年2月11日
illustration by Kanako Mizojiri
コートを脱ぎ一杯注文したところで携帯が震えた。姉の番号だった。僕は店員に目ですぐ戻りますと告げ外に出た。年が明けたばかりの街は寒く、ダウンの通行人が不審そうな顔で僕の薄いセーターを見た。「もしもし」聞こえてきたのは姉の早口ではなく、くぐもった、かすれた、もっと簡単に喋りたいのに何かに邪魔されているような男の子の声だった。
久々に正月に帰省した。去年までは忙しくて無理だった。どうして今年は可能なのか、自分としては前向きな決断の結果だったが、人からすると無謀、逃避、敗北……母の雑煮は懐かしいより不思議な味に思えた。元日の午後、姉一家が年始に来た。ここ数年の恒例なのだという。姉の後ろに見慣れない猫背の男の子がのっそり立っていた。甥っ子だった。僕は彼にお年玉を渡した。コンビニのぽち袋に、ネットで調べた中学生の甥へのお年玉として適切な額を入れた。僕は気恥ずかしく、その気恥ずかしさを取り繕うためこれもと言って古い文庫本を差し出した。自室で見つけたディケンズの『大いなる遺産』、焦げ茶の表紙の上下巻、彼はおそらく困惑した顔をした。「あ、これ……おまけ。僕もそのくらいのとき読んで確か多分面白かった本で……」「悪いわねえ、いまアンタこんなときなのにお年玉なんて」姉の大声に僕は思春期のようにうつむいてしまい、お礼を言っているらしい彼の小さな声を聞き逃した。
「あの、もらった、本……」携帯が囁いた。冷たい風が吹いた。僕は半歩下がった。弾むように歩いてきた若い女の子の鞄が僕の腹をかすった。「なんかごめん、一方的に……古本だし、いまどき本とか」「ジョーって」「え?」「ジョー・ガージャリって、出てきた、鍛冶屋の。主人公の親代わりみたいな人で。俺」彼は少し言い淀んだ。「え?」「僕、その人がすごい、いいなと思った。相当いい奴、でしょ?」記憶の中ではよちよち歩きの、それが変声期を迎え自分を俺と呼ぶか僕と呼ぶかもっと他の何かかで迷っている。「……本、読んでくれたんだ」「うん」「本好き?」「まあまあ……それで、また」「うん?」「来年も、面白い、本、よかったら、また」店に入り席に戻ると、一呼吸おいて注文していたビールが差し出された。グラスを台座から持ち上げて一口飲んだ。店の中は静かで暖かかった。