Short Storyショートーストーリー

栗田有起
「美しいひと」2004年7月27日

そのひとはおそろしく仕事のできるひとだった。初対面の人間と顔を合わせたとき、かるく挨拶を交わしただけで、相手の力を見極めてしまうようなひとだった。三十代で事業を起こし、利益を上げない年はなかった。

そのひとはとても姿がよかった。そこはかとない色気があり、まわりの視線をとらえずにおかない魅力があった。どこへ行っても、その場の中心にいつのまにか立っていた。恋の噂は、いくつも聞いた。

彼女は私の上司だった。独身で、ひとり息子は当時、大学生だった。

そのひとに連れられて、いろんなお店に行った。彼女はお酒に強かった。お酒が大好きだった。赤ワインは、よほどのものでないかぎり水みたいに飲むのよ、そのほうが味を堪能できるし、楽しい。そういって何杯もグラスを空けた。いまでもはっきりと思い出すのは、飲むものがなんであれ、そこが居酒屋であれ、夜景の見わたせるバーであれ、彼女の周囲には独特の雰囲気が漂っていたことだ。あたたかくて美しい明りが灯るようだった。

彼女は、「初めて」の出来事に出会うのが大好きだといっていた。経験を積めば積むほど、新しいものを受け入れたくなる、という。味わうことに長けたひとなのだろう。そうやって、出会ったものを十分に味わえる舌を、長い時間かけて鍛えてきたのだ。

どうしたら彼女みたいになれるんだろう、と未熟者の私は考えたりする。美しさはともかく、経験を積むことならできるかもしれない、と思う。ひとまずは、味わうに足るものを見つけなければならない。どこかに、まだまだうぶな私の舌がきっと驚く、未知の味をもつお酒はないだろうか。必ずあるにちがいない、という予感は、しているのだけど。

Profile

栗田有起(くりたゆき)・作家
1972年長崎県生まれ。名古屋外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、製薬メーカー広報室、ホテルフロント勤務を経て、2002年「ハミザベス」でデビュー。

作品
「ハミザベス」02年11月すばる(第26回すばる文学賞受賞)
「豆姉妹」書き下ろし(単行本「ハミザベス」に併録)
「お縫い子テルミー」03年6月すばる(第129回芥川賞ノミネート)
「ABARE・DAICO」03年12月すばる
「さぼりん」04年6月文學界
「オテルモル」04年6月すばる(第131回芥川賞ノミネート)
「サラブレッド」04年7月ウフ

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