Short Storyショートーストーリー

工藤千尋
「今が一番いい時間」2017年11月21日

工藤千尋「今が一番いい時間」
illustration by yuuki yokoo

姉と外で会うのは、ずいぶん久しぶりだ。

甥の小太郎が乳離れを終えてから、ちょうど一ヶ月たった。アルコール解禁を祝う今日は、姉も薄く化粧をしている。

元気だったか尋ねられて、つい咄嗟に

「うん、なんとか大丈夫」

という返事をした。姉は、よかった、とだけ言った。

二人で、しゃれた名前のビールを選んだ。不思議な形のグラスに注がれて、それは運ばれてきた。四角い台座と、底の尖った盃。パーツが分かれている。どちらも透き通っていて、見るからに繊細な造りだ。倒さないように、そっと触れる。背筋を伸ばす。

ふちに向かって広がるフォルムを両手で支え、傾けた。味の濃いビールだ。苦い。甘い。苦い。でも、やっぱり甘い。食べるみたいにして飲む。全身が、ずっしりと椅子に沈む。

姉は、器を台の窪みにおさめると、ほっとした顔になって頷いた。

「壊れ物だね」

ため息をつき、満足そうにつぶやく。なんとなく真似て、わたしも深呼吸をする。

「この頃、小太郎は、コップとコップぶつけてパーイって言うの。しまいには、おっぱいにコップあててきて、パーイだって」

「乾杯のパイと、おっぱいのパイを掛けてるんだ」

わたしたちは置いたグラスを再び持ちあげ、軽く合わせた。パーイ。声にしないで、唇を動かす。細かな気泡がいくつか、液体の中を静かに昇っていく。

──きっと、一番いい時間だ。急に、強くそう思った。くすぐったくなるような多幸を、舌で転がして確かめた。今は、楽しい。あっという間に終わってしまうけれど、今は楽しい。

「だいじょうぶ」

わたしは、その言葉を繰り返してみる。それから、また一口、ビールを飲む。

飛行機のプロペラに似た大きな羽根が、天井で回っていた。間接の照明を受けて、ゆっくりと影が横切る。二つのグラスが空になるのは、ほとんど同時だった。

「早めに帰る?」

時計に目をやって、わたしは声をかけた。姉は、少し考えたあと、

「もう一杯、一緒に飲もう」

と応え、にっこり笑った。

Profile

工藤千尋(くどう ちひろ)
1981年、秋田県生まれ。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業。2017年、「とぜね、かちゃくちゃね」が第3回林芙美子文学賞を受賞し、小説トリッパー(朝日新聞出版)春号へ掲載された。また、人形作品で美術展へも参加している。2017年、第20回岡本太郎現代芸術賞展入選(川崎市岡本太郎美術館)。

横尾勇樹
佐賀県生まれ
2005年 東京芸術大学 先端芸術表現科卒業

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