白河三兎
「父の仕事」2013年2月28日
illustration by symbolon
父は大人を驚かせる仕事をしている……らしい。詳しくは知らない。「子供は関わっちゃいけないんだ」と頑なに教えてくれなかった。
驚かせる仕事と言えば、お化け屋敷の幽霊役か、マジシャンくらいしか思い浮かばない。でもそれらは子供だってびっくりする。いや、むしろ子供の方が良いリアクションをする。大人限定で泡を吹かせる仕事って? 親の職業をテーマにした作文はいつも私を悩ませた。
その後も箝口令は敷かれ続けた。成人の日や二十歳の誕生日や社会人になった時にはカミングアウトを期待した。でも父が私を大人と認めたのは、私が二十四歳になってからだった。唐突に父から「機は熟した」と呼び出された。
父に指定された店のドアを開けると、背筋がピーンとした。でもすぐに委縮して丸くなる。しっとりとした雰囲気に呑まれたのだ。私にとってバーは異世界。目に入ってくるもの全てが眩い。幻想的に揺らめく店内を見渡すが、父はまだ来ていなかった。
覚束ない足取りでどうにかカウンターのスツールに腰を掛けると、目の前に奇妙な形をしたグラスが置かれる。顔を近付けなくても芳しい香りが鼻先に触れた。黒ビールのようだが、まだ注文をしていない。それともこれがバーのルールなのか、と顔を上げてバーテンダーへ不安な視線を向ける。
父だった。黒い服をまとった父が佇んでいた。「どうぞお飲みください」と家では見せない顔で勧める。私はその場の空気に流されて口をつける。
一口で理解した。父は職業柄、未成年者に飲酒の興味を抱かせるわけにはいかなかった。そしてこのビールはある程度お酒を嗜んでから口にすることで、驚きの効果が倍増する。だから長いこと秘密を寝かせていたのだ。
「父さんは大人に泡を食わせる仕事をしているんだ」と得意満面に言うものだから、私は「違うね。お父さんの仕事は大人を満足させる仕事だよ」と言ってやった。
すると、父は目を細める。私を見下ろすその視線はいつもと違っていた。ようやく私は父の目線と同じ高さに近付けたみたいだ。